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 返らぬ少女(おとめ)の日の
 ゆめに咲きし花の
 かずかずを
 いとしき君達へ
 おくる
 

(吉屋信子『花物語』巻一 序文より)
 
 
 
 

 幸運の象徴である四つ葉のクローバーが嫌いという方は、まず居ないと思います。
 うちの事務所ですと、朋ちゃんとか、ほたるちゃんが、よく四つ葉のクローバーを持ってます。
 ですが、わたしのように、四つ葉のクローバーを探すのが趣味とまでいくと……。
 変わってるね、なんて言われることもあります。
 ただ、四つ葉のクローバーには色々と素敵な意味があって……
 わたしにとっても、特別な思い出のあるものなんです。
 今日は、その内の一つをお話させていただければ、と……。
 

 わたしが、アイドルとしてデビューする前の……高校に入って間もない頃、
 まだ養成所でレッスンを受けていたときの話です。
 

 アイドルになろうと思った理由……ですか。
 それが実は、けっこう中途半端で……
 
 わたしは、自分がおどおどとしてたり、子供っぽいところとか、そんなところが嫌で……
 そこをスカウトさんに丸め込まれて……アイドルになれれば、自分を変えられるんじゃないか、
 と思って、候補生として養成所に通っていました。
 
 けれども、そんな状態ですから、うまくいくはずがなくて……
 わたし、声が小さくて、歌や演技が全然伝わらなかったり、体力もなかったり、
 ほかの候補生の人と自分を比べて、もともと乏しかった自信を、すっかり失くしてしまったんです。
 
 あまりに自分が情けなくて、でも自分が言い出したことだから、
 誰かに泣き言も漏らせず……一人で泣いてしまうこともありました。
 それが、無性に寂しくて、辛くて……
 
 そんな調子ですから、レッスンへ向かう足取りも日に日に重くなり……それでも、
 自分を変えたい、という気持ちで……なんとか養成所へ通うことを続けていたんですが……
 
 ある日、その気力がふっつりと……前触れもなく尽きて、足が動かなくなってしまったんです。
 それは本当に突然でした……わたしの足が止まったのは、
 養成所とその最寄り駅の途中にある公園でした。
 
 なんとか、行かなきゃと思ってても……
 電車を降りるまでは動いてたはずの足が、動かなくて……
 わたしは……公園のベンチに座り込むのが、やっとの状態でした。
 
 どれほど時間が経ったのでしょうか……ベンチで打ちひしがれていたわたしに、
 誰かが呼びかけてくる声が聞こえてきました。
 
「――智絵里さん、緒方智絵里さんですね?」
 
「……えっ、あ……は、はい……っ」
 
 いきなり自分の名前を呼ばれて、わたしがびっくりして顔を上げると……
 編みこんだブロンドをウィンプルで覆った若い――といっても私より何歳かは年上の――シスターさんが、
 しゃがみこんでわたしを見ていました。
 わたしはいきなり至近距離で視線が合ったものだから、すぐには声らしい声が出ませんでした……。
 

「く……クラリス、さん、ですか……?」
 
 ただ、わたしは、そのシスターさんの顔を見知っていたので……
 あっけにとられた頭で、なんとか名前を喉から絞り出しました。
 
「あら、覚えていてくださったのですか。光栄ですね」
 
 クラリスさんはそう言いましたが、わたしにとっては……
 クラリスさんがわたしの顔と名前を覚えていることが意外でした。
 
 クラリスさんは、養成所でとても目立つ方でした……。
 まず……服装とかがすぐそれとわかるシスターさんで……
 ブロンドに白い肌と、ヨーロッパ生まれみたいな名前と外見なのに、神戸育ちで日本語が流暢……
 あと厳しいレッスンでも、穏やかな表情と声音を崩さなかったり……とにかく色々と印象的な方です……。
 それに比べてわたしは、人の目に留まるようなものが、何もなくて……
 あ、ダメな所が悪目立ちしてたのかもしれませんが……
 
 同じ養成所で頑張ってる方に、サボってるところを見られたなんて……っ
 
 わたしは消え入りたくなりましたが、体は相変わらず手も足も動かないままで、
 気まずいまま顔を伏せることしかできませんでした。
「隣、よろしいでしょうか?」
 
 何も言えないわたしの隣に、クラリスさんが座りました。
 
「あと、貴女と何かお話できれば、と思うのですが……」
 
 それから、クラリスさんは、何事かわたしに話しかけてくれました。
 
 わたしは最初、ろくすっぽ返事もできなかったのですが、クラリスさんが隣にいてくれると、
 喉とか、胸のあたりが少しずつ解れていく気分がして、いつしかわたしは自分のことを話していました。
 
 ……わたしは、アイドルになることができるんでしょうか、と。
 
 一度口に出すと、あとは勝手に言葉が流れ出て止まりませんでした。
 自分はダメなんじゃないかという不安があって、それを認めるのも怖くて……
 
 ほかにも色々混ざったもの、辛いこと、苦しいこと、
 それでも誰にも言えなかったことが、口をついて溢れて……
 わたしのそれが尽きるまで、クラリスさんは黙って聞いてくれました。
 

 わたしがしゃべるだけしゃべり終わると、クラリスさんは、
 
「智絵里さん……少しだけ、待っていてくださいますか?」
 
 と言って立ち上がると、わたしたちが座っていたベンチの裏手に歩いて回りました。
 
 何だろう……と思って、わたしが振り返ると、
 クラリスさんは背が低い草が生えているあたりで、しゃがみ込んで地面を眺めていました。
 
「……何を、されているんですか」
 
「四つ葉のクローバーを探しているんですよ。手伝ってくださいますか?」
 
 わたしは、クラリスさんの周りで、白く小さな花びらが丸く重なったクローバーの花が、
 数えきれないほど揺れているようすを見ました。
 
 ああ、今って、春なんだ……とわたしは呟いていました。
 クローバーが咲いてるってことは、もう春も終わりだったのに、いまさら気づいたなんて。
 わたしはクラリスさんと並んで、無心で四つ葉のクローバーを探しました。
 何故それを探しているか、意味は分かりませんでしたが、それはとても落ち着く時間でした。
 
「智絵里さん。クローバーは普通、三つ葉ですよね?」
 
 しばらくたって、クラリスさんがまた話しかけてくれました。
 
「私どもの古い言い伝えでは、三つ葉がそれぞれ、父なる神・キリスト・聖霊を表していて、
 それらが一つである三位一体を示す、などという例もありますが……では、四つ葉は?」
 
 クラリスさんがわたしへ問いかけた瞬間、わたしの目はクローバー群の中で、
 四つ葉のそれが一つ、春風に揺れている様を捉えました。
 
 わたしはキリスト教のことはさっぱり分かりませんでしたが、
 その様は、いつだったかクラリスさんが下げていたロザリオの形を連想させました。
「四つ葉は……十字架、でしょうか?」
 
「よく言われるのは、そちらの意味合いですね。もしや、ご存知でしたか?」
 
「……いいえ、ただ思い浮かんだだけで……」
 
 たまたま言い当てただけなのに、クラリスさんが嬉しそうに声を高くするものだから、
 わたしは気恥ずかしくなって、会話を打ち切って四つ葉のクローバーへ右手を伸ばしました。
 
「見つけた……四つ葉、です」
 
「あら……やはり幸運は、求め訴える者のもとへ降りてくるのでしょうか?」
 
 わたしの手のなかの四つ葉を見ながら、クラリスさんは冗談めかして微笑みました。
 
「四つ葉は、三位一体に見つけた人自身を加えたもの、という見方があります。
 父なる神・キリスト・聖霊が、いつも自分とともにある幸せを示す……これが幸運の象徴の由来、だとか」
 
「……そうなんですか?」
 
 聞きなれない説法に首を傾げたわたしを見て、
 クラリスさんはわたしの手に――四つ葉を乗せた右手に――彼女の手を重ねました。
 
「もっと、ざっくばらんに言ってしまえば」
 
 その手の暖かさが、とても優しくて……
 
「辛い時も、苦しい時も……いつだって貴女は一人じゃない、ということですねっ」
 クラリスさんの言葉が届いた瞬間、わたしは、つい涙をこぼしてしまいました。
 けれども、恥ずかしさや決まり悪さは感じませんでした。
 
 一人のときと違って……そう、一人じゃないなら、泣くのも辛くはありません。むしろ……
 

 ……ちなみに、クラリスさんもレッスンに向かう途中だったため、
 わたしたちは揃って遅刻し、養成所の方に叱られてしまいました。
 
 ……お後がよろしいようで。
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