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 なんだか、幸せで懐かしい夢を見た。
 
「真尋、ごめんな。おとうさん、転勤になっちゃったよ」
 
 小学2年生が終わる頃だ。生まれ育った香川を離れて、関西の学校に転校することになった。香川の友達と離れるのは寂しかったな。幼稚園からの友達もいたし。幼馴染の子は車で家を出る瞬間も見送ってくれたりして。そういえば、元気にしてるかな。
 
 はじめはあいさつがだいじ、ってお母さんが言ってたから、最初のあいさつはとびきり元気に言うことができた。関西の子たちはみんなノリがよくてぐいぐい話しかけてくれた。けど、その学校には1年もいられなかった。
 次の学校も、また次の学校も。1年も待たず、お父さんはとにかく忙しく日本全国を飛び回った。
 ぐるぐると転校初日の記憶が回る。黒板にでかでかと書かれた自分の名前を背景に、「元気にあいさつ、よくできました!」って、我ながらほめてあげたくなっちゃうような第一声。
 たくさんの学校に通ってきたなあ。初めて声を掛けてくれたあの子、隣の席になったあの子、いろんな学校の、いろんな友達の顔が浮かんでくる。まだメールが続いてる子もいるし、あれっきりになっちゃった子もいるけど、みんな元気にしてるかなあ。
 
 小学5年生の秋ごろの記憶。
 転校初日の朝、朝礼で私は今までどおり、元気なあいさつをした。うん、100点満点。けど、なんとなく教室が静かで、今までのクラスとは違うような気がした。
 担任の先生に促され、席に着く。
「はじめまして、よろしくね!」
 隣の席の子に声をかけてみたけど、伏し目がちにまったく興味なさそうに「うん」とだけ。たまたまそういう感じの子なんだろうな、と思いながら1時間目が始まった。
 休み時間。クラス全体がすごく静かで、なんだか違和感があった。……どうしたんだろう。静かなまま転校初日の帰りの会を迎えた。このまま1人で帰るのかな、今までは初日でも誰かと一緒に帰れてたのに、ちょっと寂しいな、と思っていたら。
「みんな、明日の朝は運動会の練習があるから体操着に着替えて集合ね~」
 この学校では、運動会が1週間後にあるらしかった。身体を動かすのは大好き! 運動会で頑張ったら、みんなともっと仲良くなれるかな?
 翌日、お母さんにも起こしてもらって頑張って早起きして、家を出るのもぎりぎりだったけどなんとか練習に間に合った。練習競技は綱引きと、徒競走の順番決めだった。それと、マスゲームのダンス練習が待っていた。ダンスの振り付けと曲は担任の先生からCDとビデオを借りて昼休みや放課後に練習をすることにした。踊るのも、ちょっと楽しい! 学年のみんなと踊れたらきっと楽しいだろうなあ。
 ダンスの練習と競技の練習で、1週間はあっという間にすぎていった。相変わらずクラスのみんなとはあんまりしゃべれてないし、みんななぜか元気がないけど、それでもとにかく運動会は楽しみだった。
 
 これでもか! ってくらいの晴天に恵まれて、運動会は順調に進んでいた。順位はイマイチだったけど午前中最後のマスゲームのプログラムもお父さんお母さんにほめてもらえたし、お弁当もすっごく美味しいし、午後の競技も楽しみだった。
 だけど、午後の競技最初の綱引きで、事件は起こった。
 綱引きの最後尾で頑張っていた、クラスで一番体格のいい男子が倒れて足をくじいてしまったのだ。
 男子は泣きそうな顔で保健室に運ばれていくし、エースがいなくなったとクラスのみんなもあわあわするし、もうだめだってきっと誰もが思ってた。
 けど、男の子は私を見ていった。
「北川さん、俺の代わりにリレー走って」
 と。
 クラスのみんなの視線が一点にあつまる。
「えええっ、私!?」
 目を白黒させてる私に向かって、彼は続けて言った。
「他の競技も見てたけど、北川さんすごく足速いし。他のクラスのやつらもまだ北川さんのことよく知らないから対策もされてないし、ぴったりだと思う」
 クラスの女子も男子も、みんな私に期待しているような目をしてるのがわかる。
「このクラス、あんまり運動得意なやつがいないんだ。だから、頼む。走ってくれ」
 ぐっ、と拳を握った。
「わかった。私、やるよ!」
 そして、アンカーのタスキが手渡された。
 
 リレーの選手になることは前の学校でもあったけど、アンカーを託されたのは初めてだった。アンカーって、大体足の特に速い男子がなるものだったし。
 ピンチヒッターとはいえ、絶対、負けられない。負けたくない。ここで勝てたら、きっとみんな元気になってくれる。仲良くなりたいのはもちろんだけど、まず元気になってほしい。元気がないのが一番よくないもんね。
 だから、絶対、勝とう!
 やがて、勝負のリレーのプログラムが始まった。
 
 パンッ
 
 第1走者がいっせいに走り出した。1人目、2人目、3人目。運動が苦手な子が多いとは聞いてたけど、本当に私のクラスは最下位のままだった。まもなく4人目の子が最下位で走ってくる。前のクラスとの差はほんのちょっと。
 パシッとバトンを受け取り、一気に加速する。
 自分のためだけじゃなくて、誰かの期待も背負って走るということを、このとき初めて感じたような気がする。
 前に、前に進まなきゃ。
 1人、追い抜いた。また、1人。トラック半周を過ぎた。前にはもう2人。
 追い抜くたびにみんなの歓声が聞こえる。まだまだ……もう少し!
「ダアアアアアアアアアアアアアアアッシュ!!!!!!!!」
 今までの自分以上のトップスピードで走ってきたから、足がもつれそうになる。心臓もバクバク動き回って、はちきれそう。
 だけど、足は止めちゃダメだ。もっと、もっと走らなきゃ!
 前を走る子を、すぐ目の前にとらえた。振り返ったその子と目が合った。けど、負けられないよっ!
 あと、1人。
 だんだん大きくなってくる背中。
 私はそこから目をそらさず、とにかく、前に足を動かし続けた。
 ゴールテープも見えてきた。ラストスパート!
 もう私は誰にも止められない!
 走って、走って、走りまくれ!!
 
 先にゴールテープに体が触れたのは、タッチの差で
 
 私!
 

「まひろちゃん、すごーい!」
「やったー!おめでとう!」
「お前、足速いんだな!」
「すっごくかっこよかったよ!」
 ゴールと同時に地面に倒れた私の周りに、クラスのみんなが集まってきた。
「へへっ」
 こんなにほめてもらえるのって、ひさしぶりかも。かっこいい、だって。嬉しいっ!
 最終的に赤組は白組に逆転することはできなかったけど、みんなすがすがしい顔で家に帰っていった。
 休みが明けて学校に行ったら、今度は担任の先生が私を待っていた。
 
「北川さん、陸上クラブに入ってみない?」
 私と、陸上の出会い。
 
 クラスのみんなにも積極的に自分から声を掛けるようになった。
 運動会が近かったからなんとなく元気がなかっただけで、本当はみんな楽しいことが大好きなクラスだった。今までの学校はみんなもノリがよくて自然と声をかけあって輪ができてたけど、自分からどんどん前に出なきゃいけないんだ、って初めて気づかされたんだよね。
 
 結局この学校が一番短くてそれから半年ぐらいしかいられなかったけど、今でも運動会の集合写真は部屋の机に大切に飾ってある。
 またそこから1年置きに転校を繰り返した。最初のあいさつは、明るく元気に。そして、積極的に色んな子に声をかけること! これをモットーに私の転校ライフは続いた。
 中学に上がってからは陸上の活動も本格的に始めた。どの学校に行っても必ず陸上部に入ることにした。前に進むのって気持ちいいって知っちゃったから、この爽快感はやめられない。
 全国を点々とした生活は中2の冬頃には落ち着いた。お父さんが東京に腰を据えて仕事をすることになったからだ。お父さんは転勤を告げるときこそちょっと苦しそうだったけど、いつもは仕事が楽しみで仕方がないみたいって知ってるから、きっと頑張りが実を結んだんだな、って娘ながら思う。やっぱそういうところ、娘の私も似ちゃうんだなあ、とも。
 今では私は陸上部の副部長。朝が弱くてがさつで勉強も苦手な私だけど、走ることだけは大好きだから、毎日がすっごく楽しい。慕ってくれる子もいっぱいいるし。きっとこれからも、こんな毎日が続いていくんだろうなって思う。
 
 えへへ、なんでこんな幸せな夢見てるんだろ。
「まーひーろー」
 ほら、遠くで誰かが私を呼んでる声がする。この声を方へ、また走っていかなくっちゃね!
「なーにー?」
「まひろー、……さいっ、お……なさ……」
「んー、よく聞こえないよー」
「真尋っ! 朝だよ! 起きなさいって言ってるのっ!」
「わあっ! お母さんっ!」
 鬼の形相でお母さんが私の前に立っていた。
「また今日も遅刻しちゃうよっ」
「今……ああっ、もう8時前! やばっ、遅刻しちゃう!」
 文字通りベッドから飛び起きる私。ううっ、練習がない日はいつもこれだ……せっかく幸せな夢見てたのにーっ!
「何度も声かけたんだから、ちゃんと起きてよね、もう」
「怒られるのは帰ってからにするから、今はちょっと待ってー!」
「朝ごはんは?」
「ダッシュで食べる!」
 食パンを牛乳で流し込み、制服に着替え、スニーカーの紐を結んだ。
 
「行ってきますっ!」
 
 私の最大の欠点、遅刻癖。気をつけようとは思うんだけど、こればっかりはいくら前に進んでも直らない。自分から頑張って友達作ろう、とか、もっとみんなを盛り上げよう、とかならできるのに。
 たとえば、そこの角を曲がった瞬間、何か私を変えてしまうようなできことがおこったりして……なんて、そんなマンガみたいなこと、あるわけないよね。考えてたら急に恥ずかしくなっちゃったっ。
「わああ、遅刻遅刻―っ!」
 そして、私はいつもどおりに通学路の角をダッシュで曲がった。歩いている人影に気づかないまま――
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