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  魚と樹は似ている。喪失は、僕らの時間に区切りをもたらす。
  ――キルメン・ウリベ
 
 フレデリカの母が言うには、フレデリカは自分の名前を完璧に発音できる必要があった。音は文字に先立つのよ、と母は言った。母が時折向ける本来の音としての「フレデリカ」は、母の中に残ったほとんど唯一の母国の音声だった。
 フレデリカの母はメス西部の生まれだった。ロレーヌの人々は日々過ぎ行く多くの事柄をすべて煙のようなものだと考えていた。彼らは、モーゼル川の流れに反射する強く真っ白な光の束こそが自分たちの誇りだという表情をしていた。パリで日本人の夫と結ばれて以来、フレデリカの母親が故郷の土地に戻ることはなかった。彼女は彼女がそれまでに蓄えてきた数々の言葉を長い日本暮らしの中でゆっくりと手放していった。彼女は、彼女の言葉たちが自分のもとを離れモーゼル川を細かい無数の泡々に包まれながら下り、ルクセンブルクを通ってドイツのコブレンツでライン川へと流れ合っていく姿を何度も夢に見た。私が引き連れてきたたくさんの音たちは北海に消えてまたロレーヌの地へと降り注ぐんだわ、と母は彼女の夫に語り、夫は彼女の話を聞きながらただ西の空をじっと見つめていた。
 母がフレデリカに彼女の名前の発音を教えたのは彼女がやっと中学校に進学したころだった。それまでフレデリカは、普通の少女がそうであるように、毎日を別人へと移り変わっていくかのようにして振る舞った。母は娘のそうした時期を、底のない暗い海を静かに沈まなければならない娘の道標に立とうとはしなかった(普通の母親がそうするように)。フレデリカが十三歳の日々を過ごすある日、母親は多くを語るような、これまで語ってきたすべてよりもずっと長い話を始めるというような目で娘を見た(とフレデリカは思った)。フレデリカは学校から帰ったばかりで、制服の上着を自室のハンガーに掛けて浴室へ向かう前にリビングで一休みをしていた。父はまだ帰っていなかった。母は長方形の足の高いテーブル(パリから持ってきたものだと母は娘に語ったことがある。父も驚くほどに丈夫なテーブルだった)を挟んで娘と向かい合った。リビングのテーブルを囲む椅子は丸く綺麗に磨かれた黒っぽい木材で出来ており、娘の側に一つ、両親の側に二つ並べられていた。母はいつもキッチンに近い娘の左手側の椅子に座った。母は娘と何か話をするとき、ソファに並ぶのではなくテーブルを挟むことを好んだ。その日フレデリカがソファの方に座らなかったのは恐らくただの偶然だった。
 フレデリカ、と母は溜息を吐くように娘の名前を呼んだ。フレデリカはその響きが初めて聞くもののように思え、自らの名を呼ばれていることにしばらく気が付かなかった。
 母は夕食の準備を始めるところだったらしく、持っていたエプロンを椅子の背もたれに掛けていた。母は娘を、娘と自分の間に広がるテーブルの天板を、娘の後ろの壁に置かれたチェストを順に眺めた。浅い凹凸の付いたクロス貼りの壁は白く(母は白が好きだった、何ものにも代え難い白、運命に矛盾と不完全性を告げる白)、目眩がするくらいに広かった。大人の腰の高さくらいのチェストの上には、父と母がパリで最初に撮った写真、新婚旅行で訪れたポルトボウでの写真、フレデリカの小学校の入学式で撮った三人の写真、中学校の入学式の写真が並んでいた。パリの写真はどこかの公園で二重桜を背景に並ぶ両親の姿を写していた。ポルトボウの景色は幻想的で(その独特のドラマ性は現像過程のどんな薬品にも洗い流されることはなかった )、非現実的なほどに美しかった。小学生のフレデリカは父に抱き着いた写真と母に抱きしめられた写真と両親と手を繋いだ写真の三枚を撮りたがり、手を繋いだ写真がリビングに飾られ他の二枚はアルバムに仕舞われていた。中学生のフレデリカはもうほとんど母と同じ身長になっていた。フレデリカが小学校へ上がる前にパリで撮られた三人の写真もいくつか存在したが、チェストに並べることができる限界を超えたためこちらもアルバムに保管されていた。父はどの写真でもまったく同じ表情をしていて、鋭い炎(生々流転する時代の炎)と対峙しているようにも何かを急いでいるようにも見えたが、彼が共に写る者への深い愛を抱きながらカメラを見つめていることはすべての写真において疑いようがなかった。
 母は再び娘へと視線を戻した。娘はこれから語られる母の話を静かに待っていた。陽はまだ落ち切っておらず、蛍光灯の灯りと夕焼けの光が一つに溶け合ってリビングの全体を包んでいた。母は両手の指を卓の上で組みながら、フレデリカ、とまた娘の名を唱えた。母親は姿勢を正し、娘も母親に倣って姿勢を正した。このまま永遠の夕暮れが続くように思われた。突如母親はもう一度口を開き(母も娘もまた姿勢を直す必要はなかった)、フレデリカという音の列を彼女の名前として改めて彼女へ託すのだというように、十三歳の娘に向かって真っ直ぐと語り始めた。
 フレデリカ、あなたは自分の名前をどう発音するべきか知らないわね。あなたの名前があなたにどう呼ばれたがっているか考えたことはある? 私は故郷にもらったいろんなものをもう水に流してしまったけど(水に流すって、こういう使い方で合ってたかしら?)、あなたの名前はいつだって誰よりも上手に呼ぶことができるわ。母は目を見開いてじっとこちらを見つめる娘に対して、戸惑うことはないわ、フレデリカと言った。フレデリカは初めて母から紅茶の淹れ方を教えてもらったときのような、輝きと真剣さを携えた目で母の話を聞いていた。いいかしらフレデリカ、と母は続けた。「フレデリカ」の最初の「フレ」はほとんど一つの音みたいに発音するわ。でも決して急いではいけないの(いつだって急いで良いことなんて無いものよ)。「デ」の音は始まりの吹き抜けるような「フレ」を受け止める壁みたいなものね。焦らず落ち着いた感じを忘れないように発音するといいわ。「フレ・デ・リ・カ」みたいに。アクセントは後半の「リ」の音に置くの。「リ」の音はほんの少しだけ伸ばすのよ。「フレデリィーカ」っていう風に。ゆっくり、伸ばしながら夢を見ちゃうくらいに伸ばすの。でも実際はほんの短く聞こえるように伸ばすのよ。そのまま夢見心地で「カ」を発音するわ。深くほとんどの息を吐き出しちゃうみたいに「リィー」と伸ばして、余韻を「カ」に込めるの。フレデリィーカァ。最後の余韻があなたの名前みたいなものね、と母は言った。
 母は生まれたばかりの我が子を見守るような目で娘の名前を呼んだ。フレデリカも自然と同じ目をして自らの名前をゆっくり唱えた。母は日々成長していく娘の姿に喜びを感じながら、これからもうモーゼル川を流れる言葉たちの夢を見ることはなくなるのだろう、と考えた。一年を通して変わり映えもなく訪れるロレーヌの雨を思い起こそうとしたが、日本の重たい雨の姿と混ざってはっきりと想像できなかった。頭に浮かんだ別れの言葉は娘と夫と暮らすこの土地の水と似ている気がした。
 彼女は故郷の音々をもう少しばかりしか思い出すことができない。それでも、娘の名前を呼べば故郷の風や光たちがいつでも感じられるように思えた。母親にはそれで十分だった。
 その夜母はキッシュ・ロレーヌをほとんど作り過ぎというくらいに振る舞い、仕事から戻った父は何も言わずにそれを食べた。
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