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「 」 is not here.
アイドルになりたいと思ってどれくらいでしょうか。
新しい事務所に向かう道すがら、好きな歌を口ずさみながら今までのことを振り返ります。
思えば私らしい、辛いことだらけの道のりでした。
いえ、まだ続くのかもしれません。
それでも、あの歌を、大切な言葉を胸に、今日も私は進みます。
***
「今回も駄目……か」
事務所の扉に貼り付けられた一枚の紙を見て、私はため息を漏らしました。
『事務所閉鎖のお知らせ』
細かい内容を見なくても、一番上に書かれたその文字を読めばわかります。
私はまた、アイドルじゃなくなってしまいました。
私──白菊ほたるという人間は一言で言うと“不幸”な人間です。
小さな頃からつきまとうそれは何度も私の人生の邪魔をし、良くないことが起こるのはしょっちゅう、事故や事件に巻き込まれることも少なくありません。
いえ、私だけならそれでも良かったんです。
でも私の不幸は次第に他人を巻き込んでいくようになりました。
私の乗っている電車だけが事故で止まったり、入ったお店が突然強盗に襲われたり……。
そんなことが続くうちに私は無意識に他人と距離を取るようになっていました。
他人に迷惑をかけないように、できるだけ他人と交わらないように……。
でも、そんな私に希望をくれたのはテレビで見た一人のアイドルだったんです。
画面の中で歌い踊る彼女の輝きに、私は自分の不幸も暗い性格も忘れて見入っていました。
何気なくつけていた音楽番組だったので出演時間はあまり長くありません。
それでも、その数分間は間違いなく私を不幸から遠ざけてくれました。
人との関わりを避けるだけでなく、自分から誰かに笑顔を届けられるかもしれない存在。
こんな私でも誰かの幸せを作ってあげられるかもしれない存在になれるかもしれない。
そんな素敵な未来を思い描いて、その日は久しぶりにワクワクしながら眠りについたのを覚えています。
私が両親の反対を押し切ってオーディションを受け、最初のプロダクションに所属したのはそれから数ヶ月後。
今から大体2年くらい前のことです。
それからしばらくはレッスン漬けの日々でした。
レッスン場の手すりが壊れたり、靴紐が切れたりと相変わらず不幸は続きましたが、それでも周りのみんなと楽しく切
磋琢磨していたんです。
特別歌が上手いわけでもなく、スタイルが良いわけでもなかったので、練習は欠かしませんでした。
単純に実力不足を感じていたのも事実ですが、それ以上にレッスンが楽しかったんです。
憧れに近づこうと努力することがこんなに楽しいことだとは知りませんでした。
そんなふうに過ごす日々の中で私は少しずつ不幸の事を、暗い自分の事を忘れていきました。
そして終わりが訪れるのもまた突然だということも忘れていました。
ある日、事務所に向かうとビルの入り口に人だかりができていました。
その中にはどうやらテレビ局も来ているようでカメラをかまえた人が見えます。
いつもと違うその光景に少し嫌な予感を覚えながらも、合間を縫うように事務所に入ります。
中では普段事務所にいないスタッフさんも含めた大人が沢山いて何かを真剣に話し合っていました。
事務所の電話も引っ切り無しに鳴っていて少しうるさいくらいです。
電話に応対している事務員さんの口からは「謝罪会見」だとか「閉鎖」だとか日常ではあまり聞かない単語が聞こえます。
「ほたるちゃん聞いた? ×××××さんの事」
同い年の事務所の友達が声を潜めて話しかけてきました。
×××××さんは最近いくつかの雑誌に取り上げられ始めた事務所の先輩です。
思い当たる出来事がなかったので黙っていると続きを教えてくれました。
「最近売れてきてたの、偉い人とそーゆー関係になったからだったんだって」
「そういう……?」
当時の私が理解するには少し早すぎる話題でした。
いえ、今でも十分早いんですけれど。
「あ、えっと……、ちょっとアウトな方法でお仕事貰ってたってこと、うん」
私に気を使って、彼女なりに噛み砕いて教えてくれました。
ちなみに当時の先輩は高校生になったばかりだったので“ちょっとアウト”どころではありません。
それを斡旋してたのが事務所の社長で、それまでも何度か似たようなことを繰り返し行なっていたそうです。
当然マスコミからのバッシングは酷く、そのまま事務所は解散。
私は何人かの仲間と別の事務所に移籍、という形で最初の事務所を離れる事になりました。
その後も私が関わった仕事や芸能事務所は何かしらの問題が起こって、その度に私はアイドルの肩書を失いました。
事務所が無くなったり、クビにされたりと形は違いますが、そんな風に何度も問題が起こっていれば嫌でも業界内での知名度は上がります。
“疫病神”と呼ばれるまでにそれほどかかりませんでした。
そのせいでオーディションすら受けさせてもらえなかったり、“そういう事”を持ちかけられたりしたこともありました。
「やっぱり、私なんかじゃ駄目なのかな……」
アイドルになれなくて、なれてもすぐに辞めることになって、とても理想には近づけなくて。
何回諦めようと思ったか、数えるのもやめてしまいました。
それでもアイドルを続けたのは、あの日見たアイドルへの憧れと不幸に負けたくないという、ある種の意地でした。
わざわざ疫病神とわかっていて受け入れてくれる事務所は決して多くありません。
それでもありがたいことに、アイドルを続けたいという意思を組んでくれる場所はありました。
何度目か移籍のあと、東京のとある事務所でのレッスンの休憩時間のことです。
そこで知り合った一つ年上の先輩が話しかけてきました。
「ほたるちゃんはなんでアイドルやってるの?」
何気ない世間話として聞いてきたのでしょう。
声に悪意は感じませんでした。
「え? あ、えっと……昔見たアイドルに憧れて、アイドルの活動を通して誰かを幸せにできたらいいなって思って」
そう答えると彼女はぽかんとした顔で固まってしまいました。
うぅ……、やっぱり変なんでしょうか?
こんな私が誰かを幸せになんて。
「あの、おかしいですよね。不幸を呼んじゃう私が誰かを幸せになんて──」
「すごい!」
「……えっ?」
今度はこっちがポカンとしてしまいました。
「すごいよほたるちゃん!」
「そうですか?」
「うん! だってほたるちゃんは自分の幸せだけじゃなくって他の人のことも思えるってことだもん。それって素敵だと思う!」
そんなふうに言ってもらえたのは初めてでした。
今まで、大抵は私の性質と絡めて皮肉られたり、偽善的だと暗に言われたりしてきたのでこういう時の反応に困ります。
「でもそれにはまだ足りないものがあるな―」
「えっ? なんですか?」
「ふっふっふっ、それはねー……。ほたるちゃん自身が幸せになること!」
私自身が幸せに?
「だって幸せそうじゃない人よりも幸せそうな人からのほうが幸せを分けてもらえそうだもん! だからほたるちゃんはまず自分が幸せになるべきだよ!」
「……ふふ、そうですね。でも私はアイドルになれれば幸せですよ?」
「お、笑ったね? ほたるちゃんは笑顔のほうが似合ってるよ。それじゃあ早くファンに幸せ届けられるようにメジャーデビュー目指して頑張ろっか!」
「はい。頑張りましょう」
この時のやり取りは私の中の何かを変えるきっかけになったような気がします。
その後も彼女とはアイドルになるきっかけだったり、夢だったり色んな話をしました。
私の不幸話を優しく受け止めてくれたり、お互いに挫けそうになったときに励まし合ったり、一緒に笑顔の練習をしたり。
あの事務所の仲間では一番中が良かったように思います。
いつも明るく前向きな人でした。
結局その事務所も他の事務所との競争に勝てず解散してしまうことになるのですが、最後に事務所の前で別れたときのやりとりは今も私の中に大切に残っています。
「すみません。たぶんまた私の不幸のせいで……」
「気にしすぎだって。事務所がなくなっても別に芸能界から追放されたわけじゃないんだからさ」
「でも……」
「でもじゃないの。大丈夫だよ。私だってまだアイドル諦めるつもり無いしさ、いつかアイドルになったときにでもまた会えるって」
「……そうですね。また、アイドルになって会いましょう」
「うん、じゃあサヨナラの前にひとついい言葉を教えてあげる。『想い続けていればいつかきっと会える』……って好きな歌の受け売りなんだけどね」
「想い続けていれば……?」
「うん。たぶんこの先辛いこともあるし、思うように努力が実らないこともあると思う。でも諦めなければいつかきっと私たちだってアイドルになれるし、ファンを幸せにできるよ。だから、頑張ろ?」
「はいっ!」
「またいつかね! ちゃーんと幸せになるんだよ―! 不幸なんかに負けて諦めるんじゃないよ―?」
そこまで言ってから彼女は駅へと歩き始めました。
彼女は私と同じ地方出身者で一度実家に帰るそうです。
それは、そう簡単には会えなくなることを意味しています。
もちろん今時は携帯電話もあるので連絡を取る事自体はそれほど難しくありません。
でも、その時の私は彼女にもう会えない気がして、直接言わなくてはいけないことがある気がして、少しずつ遠くなる背中に声を張り上げました。
「あのっ! ありがとうございました! 私、頑張りますから!」
今まで伝えられなかった感謝を言葉にしたら色んな感情がこみ上げてきて、うまく言葉に出せなくて、最後は涙混じりでした。
「絶対諦めませんから! お互いアイドルになってまた会いましょう! だから……!」
少し小さくなった彼女はこちらを振り向くと大きく手を振ったあと、頬を指で押し上げて笑いました。
二人でやった笑顔の練習です。
泣き顔を押し上げて、私も同じように返します。
彼女は大きく頷いた後、OKサインを作ってから人混みに消えていきました。
「笑顔のほうが似合ってる……って言ってくれましたもんね」
アイドルでなくなったばかりだったのに、その時は珍しく笑顔でこの次に受ける事務所の事を考えていました。
***
皆に幸せを届けるアイドルになりたいと願ってどれくらいでしょう?
少し昔の事を思いだしながら、新しい事務所の扉の前で深呼吸を一回。
「大丈夫。まだ、諦めない。諦めたくない」
再確認するようにそう呟き、ノックして扉を開けます。
「今日からお世話になります、白菊ほたるです。その、私頑張りますので! よろしくお願いします!」
何回駄目になったって、何回だってやり直してみせます。
あの日夢見た自分に追いつく、その未来まで。
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