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「――千鶴さん、……松尾千鶴さん!」
 学校のホームルームが終わって帰ろうかと支度をしていたら、生徒会長から呼び止められました。
「何か用?」
「文化祭でオープニングに『今年の一文字』みたいな一字書作を書いて欲しいの!」
 
 突然の申し出に戸惑いながら答えます。
「何で一字書作?  何で私が?」
「中学最後の文化祭を華やかに彩りたいの!  こう、芸術的じゃない? 松尾さんは毎年習字コンクールで賞取ってるし!  それに私、松尾さんの字が好きなのよ!  こう、芸術的で!」
 純度百パーセント、まじりっけの無いお世辞でいっそ清々しいのですが、褒められるのは好きです。
「やったことないけど、面白そう……ハッ! 面白そうとは言ったけど、やるとは言ってないわよ!」
 ちょっと気分が良くなってしまい口が滑りました。昔から考えてることをポロッと口にしてしまう癖があります。
「面白そうだっていうことは、やってくれるってことだよね! よろしく! 松尾さん!」
 押しの強さに定評のある生徒会長です。諦めて承諾することにします。
「……わかった。やるわよ。ところで生徒会長。書く文字は決まってるの?」
「好きなの書いて!」
 丸投げですか!
 心の叫びは辛うじて声には出ませんでしたが、きっと私の表情が物語っていたことでしょう。
「ありがとう! よろしくね!」
 ……私の表情筋では生徒会長に抗議するまでには至らなかったようです。生徒会長は一仕事終えたと言わんばかりに走り去っていきました。
 昔から表現力が乏しい私の表情筋……。
 『もう少し仕事してよね』と言わんばかりに両頬をむにむにマッサージしながら、今度こそ家路に着きました。
 
 学校から帰った私は通常の半紙に向かい文字の全体像と、それに伴う体の動きを想像します。息を深く吸って、止め、想像通りに体を動かします。習字をするときの私はロボットね……なんて自重しながら書き上げた『祭』を眺めます。うん、良い出来映え!
 しかし書道の先生の評価は芳しくありません。
 『形はキレイですが淡白です。もっと自分の感情を表現してください。』
 最近言われてしまうことです。感情を表現という部分がどうしても分かりません。出来ないことを嘆いても仕方ないので一字書作の練習を始めます。
 ……三十分後、一字書作を普通の習字と同様に考えていた私は己の考えが浅はかだったと知りました。タテヨコ、二メートルの用紙に見合う筆の大きさは当然大きくなり、体の動きは全く異なります。普段使わない筋肉が悲鳴をあげました。
 残り一週間。山積する課題の多さに思わず頭を抱えてしまいます。しかし時は有限、押し付けられたとはいえ文化祭のオープニングを飾る以上、無様な姿は晒せません。まずは一字書作に慣れること。書く文字選びや感情表現する文字は後回しです。湧き上がる不安を押し付けて練習を再開しました。
 
 そして五日間が瞬く間に過ぎました。一字書作には慣れ、想像に近い文字が書けるようになりました。けれども肝心の書く文字が決まりません。初日から抱いてきた不安は心を真っ黒に染め上げていました。墨汁色の心模様。
 ひどい顔をしていたのでしょう。先生から『今日の練習はやめて気分転換してきなさい』と強めに言われてしまいました。こんな時だけ仕事をしなくても良いのに、私の表情筋……。
 町の中央の大きな図書館で高名な書作を見て勉強することにします。行き詰ったときは新たな作品との出会いが一番です。
 ……高名な書作を観ても得るものはありませんでした。いっそ『祭』のようにらしい文字を書こうかと暗い考えが過ぎりますが、ぶんぶん頭を振って打ち消します。いい加減なことはしません。私が納得して書かなくては。でも何を書けば……。
 ――ドンッ 
 上の空で繁華街を歩いていたらティッシュ配りしていたツインテールで黄色のメイド服? を着ている人にぶつかってしまいました。
「キャッ! ってぇなっ! どこに目をつけて歩いてんだ☆」
「ご、ごめんなさい!」 
 落ちてしまったティッシュを急いで拾って渡します。
「本当にごめんなさい!」
 頭を下げて謝ります。悪いのは私なのですから謝らなくては。
「まぁ……謝ってくれればいいわ……ってひどい顔してるわね!?」
 私の顔を見たメイドさん? が驚いていました。
「ちょっと来なさい。ヤキ入れようってんじゃないから安心しろ☆」
「……あれ?  お仕事は良いんですか?」
「休憩よ、休憩。立ちっぱなしは腰にくるのよ……って何言わせんだ☆」
「はぁ……すみません」
 メイド? さん改めバイトさんに連れられ、近くの公園でジュースをご馳走になります。
「ほら、これでも飲みなさい」
 渡されたのは暖かいミルクティー。肌寒い季節で夕方。とてもありがたいです。
「ありがとうございます。私が迷惑掛けたのに……」
「悩み事があるんでしょ? 私に話しなさい。見ず知らずの他人だからこそ言えることってあるでしょう」
 私はぽつりぽつりと話し始めました。
 
 文化祭で一字書作を書かなくてはならないこと。そこで書く文字が思い浮かばないこと。習字で感情を表現するということができないこと。
 不思議です。いつもより素直に言葉が出てきます。
 全てを聞き終えて開口一番、バイトさんは一言。
「あんた思い上がりすぎね」
「えっ?」
 思い上がり……?
「そして超が付くほどの真面目~。命名、真面目ちゃん☆」
「ええーっ」
 バイトさんは私を指差して言います。
「真面目ちゃん、何もかも完璧にやろうとしすぎよ。だから思いつめるの」
「与えられた役割はちゃんと全うしないと……」
「いい責任感だけど、それで楽しめなくちゃ本末転倒! 笑顔で一生懸命書きなさい! それが良い結果に繋がるはずだぞっ☆」
「笑顔で、一生懸命……」
「そんな辛気臭い顔じゃオーディエンスは応えてくれないぞっ☆ ほら、スウィーティースマイル☆」
「……ス……スウィーティスマイル……」
 黙っていたらバイトさんの目ぢからに圧倒されて、謎のハンドジェスチャーと共に応えてしまいました。
「うん、かわいい振り付けね! さすがはぁと!」
「でも、何を書けば……」
「じゃあ、はぁとが決めてあげる! ん~、『心』じゃ画数が足りないし。あ! アイドルは漢字で偶像って書くから、『偶』にしなさい! よし! 決定!」
「何で『アイドル』が出てくるんですか?」
「それはね! はぁとの夢がトップアイドルだからだぞっ☆」
 本当に不思議な人です。話していると心の墨汁が洗い流されていきます。
 同時に聴きたいことを思いつきました。
「なんで自信満々なんですか? 不安とか無いんですか? ……ハッ! 答えたくなければ良いんですけど!」
 口が勝手にしゃべっていました。
「すっごい不安よ! 自分探しの一人旅でお金が無くなったからバイトしてるの!」
「ええーっ」
 バイトさんはなんと根無し草でした。
「不安でもトップアイドルになる夢があるから、はぁとは自信満々で居られるんだぞっ☆ こらそこ、強がりって言わない☆」
「言ってませんし、思ってもいないですよ」
「ならよし! じゃあ笑顔で、スウィーティースマイル☆」
「ス……スウィーティースマイル☆」
「うん! いい笑顔ね! はぁとの次に☆」
 

「それじゃ、はぁとはバイトに戻るわ。最後のアドバイス。他人に何を言われようが、自分のベストを尽くしなさい! 評価は他人が勝手にするのよ! ばーいばーい!」
「はい! 本当にありがとうございました!」
 ひらひらと手を振って去っていくバイトさん改め、はぁとさん。
 いい笑顔……。今日は仕事熱心ね、と両頬をなでながら前を向いて、明日への一歩を踏み出しました。
「オープニングの一字書作を書いてくれるのは、元生徒会書記の松尾千鶴さんです!」
 文化祭当日、全校生徒と父兄が見つめる体育館のステージ上。生徒会長の紹介を受けて大きな用紙と向き合います。
 想像するのは『偶』の文字……ではなく、謎の掛け声と共に自信満々に笑う一人のアイドル。
 習字ロボットだった私とはさよならです。
 はぁとさんの事を考えます。
 今すぐあんな風になれるとは思えませんが、習字なら表現出来るはずです。
 作品に『あの日の出会い』を表現します。
「スウィーティースマイル☆」
 小声で呟き、筆に墨汁を湿らせました。
 今日は仕事してよね! 私の表情筋!
 
 ――最後の止め、『偶』の字が完成しました。
「笑顔で見事な一字書作を書いてくれた松尾千鶴さんでした! こう、芸術的だね! なんで『偶』の一文字を選んだの?」
 生徒会長からインタビューを受ける私。あの日のことを思い浮かべながら答えます。
「この学校で出会った仲間たちとの偶然の出会いを大切にして欲しいという想いから選びました! 今年の文化祭! 精一杯楽しみましょう!」
「うんうん、良い話だな~! さぁ拍手~!」
 ステージ上から眺める景色。書道の先生もグッジョブと言わんばかりに親指を立てて賛辞を送ってくれています。万雷の拍手を全身に浴びながら、はぁとさんが夢見る景色もこんな風なのかなと思いました。
「アイドル……良いかも……」
 
 新たな世界の扉を見つけた、そんな気がしました。
 
 お し ま い
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