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 鏡を見るたび、自分の嫌なところばかりが目についた。
 雨に濡れるとクセがきつくなる髪。小学校の頃、好きだった男子に怖がられた悪い目つき。誰にも褒められたことのない、可愛くない仏頂面。自分の顔を何度見返しても長所は見つからず、鏡と向き合うたび、どうしようもない劣情を感じていた。
「怒ってるでしょ、って……怒ってないし」
 口をついた言葉には、隠せない苛立ちが混じっていた。私の意思とは関係なく飛んでくる、それらの言葉を耳にするたび、小さな心臓はばくばくと揺れ、表情はこわばっていった。
「……怒って、ないのに……」
 苛立ち交じりの呟きは、誰もいない女子トイレでいつも以上にむなしく聞こえた。
 ──もう、小さいことで揺れるような、こんな感情なんていらない。怒りも、悲しみも、全部いらない。ただ一つ、誰からも疎まれない容姿がほしい。誰と並んでも、引け目を感じることのない容姿が欲しい。いつも、そう思っていた。
 
 
*  *  *
 
 
 そんなに自分のことが嫌いなのに。ちっぽけなプライドは捨てられなかった。
 どうせ誰も見ないのに、人前に立つからには良いところを見せたいと思う自分が。意味がないとわかっているのに、こうやって女子トイレに隠れて、笑顔の練習をしている自分が嫌いだ。
 どうせ、嗤われるのに。関さんまた怖い顔してる、そう言われるだけなのに。
『うちの出し物は「ダンスステージ」になりました!』
 昨日のホームルーム、歓喜に沸くクラスメイトの姿が蘇る。人気アイドルの曲に合わせて女子達が踊る──男子の一人が提案した企画が採用され、出演者の一人として、私は選ばれた。
 名前を呼ばれた時は、本当に嬉しかった。からかわれるのが嫌で、ずっと表舞台を避けてきたから、可愛い衣装なんかには縁がなかった。でも、私は選ばれた。クラスの過半数以上の同意の下、堂々と可愛い衣装を着られる──そう思うと、思わず笑みがこぼれた。それくらい、嬉しかった。
 パートナーとして、クラスで一番可愛い女の子が選ばれるまでは。
「……どうせ、引き立て役だし」
 トリは倉田か。すげー楽しみ。男子達は口々にそう言った。まるで私は存在しないかのように、彼女ばかりを話題にし続けた。ラストを飾る二人組として、最初に名前が挙がったのは私だったのに。くじびきとは言え、私だって選ばれたのに。
 ──でも。心のどこかで、仕方ないよねと納得している自分が悲しかった。目つきは悪くて、別に可愛くもない。私はどうせ、人気者の倉田さんには勝てない。そう思ってしまう自分がいた。
「……」
 私はどうしても、自分を好きになれない。世の中には可愛い女の子がたくさんいる。なのにどうして、私はその中に選ばれなかったのだろう。自分の顔を見ても思いつくのは欠点ばかりで、周りの誰かと比べては劣等感を抱いてしまう。
 倉田さんみたいな、皆に好かれる可愛い女の子になれなくてもいい。でもせめて、普通の女の子になりたかった。からかわれたり、嗤われたりしない、そんな普通の幸せが欲しかったのに。
「関さん」
 ふいに名前を呼ばれて、びくんと肩が跳ねる。振り向いた先に、クラスで一番可愛い女の子がいた。
「倉田、さん……」
「難しい顔して、何してたの?」
 にこやかな笑顔。クラスの皆が喜ぶ笑顔。
 ──こんな笑顔、逆立ちしたって私にはできない。
「……別に」
 不機嫌な声色で、ぷいっと顔をそむける。周りにからかわれるうち、いつの間にか癖になってしまった動作だった。
 そのまま目だけを動かして彼女を見ると、しきりに目を泳がせて、言葉に迷うように唇を震わせていた。今までたくさん、嫌というほど見てきた反応だった。
「ご、ごめんね。お邪魔だったかな」
 違うよ、怒ってないよ、怖がらないで。
 その一言でことは上手くいくのに、私はそれができない。どうせ、相手は私を理解してくれない。そういう諦観が染みついてしまっていた。
「……別に、いいから」
「え?」
「気遣ってくれなくて、いいよ。変なこと、しないし。邪魔しないから」
 ぶつぶつと、吐き捨てるようにそう言う。倉田さんは反応に困っているのか、真顔で私を見る。
「邪魔……?」
「邪魔でしょ、私。皆、倉田さんを見たいんでしょ? せっかく倉田さんが出るのに、その隣にいるのが、いつもしかめっ面の私で残念なんでしょ?」
 私の名前が呼ばれた時、嬉しかったのは私だけだった。クラスの皆は、喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ただただ無反応。なんだ、関か、どうでもいいや。そういう雰囲気が伝わってきたから、私の喜びは一瞬で消えてしまった。笑顔をこぼすくらいに喜んでいる自分が、馬鹿らしくなった。
「私、倉田さんみたいに可愛くないし。誰も喜んでないよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
 ぶっきらぼうに返すと、倉田さんはうーんと唸りながら小首をかしげた。
「それって、関さんも?」
「えっ?」
「関さんは、喜んでないの?」
「……それは……」
 想定外のことを訊かれて言い淀む。それは、当然、嬉しかったに決まっている。決まっているけれど、それは私だけだったんだ。私以外、誰一人喜んでいないんだ。
「だ……だって、どうせ皆嗤うでしょ。こんな私が、だよ?」
「そうかなあ」
「そうだよ。倉田さんは、可愛いから……わからないと思うけど」
 負け惜しみなのか意趣返しなのか、吐き捨てるように言う。こんなことを言ってしまう自分が、本当に嫌いなのに。
「あの、関さん」
「っ、なに?」
「関さん、私のどこが可愛いって思うの?」
 真顔でそう言う倉田さんを見て、思わず「え」と口から飛び出した。
「どこが、って……だって、髪の毛はさらさらだし、目はぱっちりしてるし……。いつも、笑顔だし……」
「えっ……そ、そう見えてるんだ……。あはは……ありがとう……」
 えへへ、と倉田さんが頬を掻く。その仕草も表情も、何もかもが可愛くて、きらきらしていて。
 ──いつも、羨ましかった。
 素直で、前向きで、可愛くて。私だって、そんな風になりたかった。柔らかい眼差しと、綺麗な髪を持った、可愛い女の子になりたかった。
「これで、いい? 私もう戻──」
「じゃ、じゃあ、私も、言っていいかな?」
 踏み出そうとする私の目をまっすぐに見て、倉田さんが言った。
「私は、関さんも可愛いと思うよ」
 そして、またしても唐突なことを言い出す彼女に、私はまた「え」と返すしかなかった。
「な、何が? どこが?」
「何が、って……手先が器用で、綺麗なアクセ作ってるところとか」
「えっ」
 信じられない言葉を聞いて、体がぴくんと跳ねた。
「み、見てたの?」
「うん。見られてないと思ってるでしょう? 私委員長だから、自然と皆のこと、知りたくなっちゃうの」
 倉田さんはそう言って微笑む。
 どうして。私は怖がられてばかりで、誰も目を合わせたがらないはずなのに。誰も見ていないと思っていたから、一人で没頭していたのに。
「それに……昨日、名前呼ばれたとき、一瞬笑った顔とか」
「えっ!?」
 思わず、目を大きく見開く。
 してやったり──そんな表情で倉田さんはいたずらっぽく笑った。
「見てたの……!?」
「うん。関さん、あんなに可愛い顔できるんだーって思って。もったいないなあって思っちゃった」
「そ、そんな、可愛くないし」
「そうかな?」
「そうだよ」
「私はそうは思わないけどなあ」
 淡々と、倉田さんはそう言ってのける。
 彼女の平然とした口調で、私の中で渦巻いていたものが崩れていく。どうせ、でも、だって。そんなマイナスの言葉達が、私の心の中から少しずつ、取り払われていく気がした。
「だから……他の人が何を言うかはわからないけど、私は関さんを嗤ったりしないよ」
「……本当?」
「うん。それに、悪いところじゃなくて、いいところを探したほうが、楽しいじゃない?」
 倉田さんはそう言って、にっこり笑った。
「私、いいところ、あるの?」
「もちろん。私、関さんのこと結構見てるから。関さんのいいところ、いっぱい知ってるよ」
「……本当に?」
「うん。だから、文化祭のダンスで、皆に見せようよ」
 倉田さんはまた、いつもの可愛い笑顔を見せてくれた。
 後ろ向きな考えばかりしていたせいで、見失っていたけれど。そうか、そうなんだ。可愛いって、もったいないって、思われていたんだ。
 ──そうなんだ。
「信じていいの?」
「うん。だから、一緒にがんばろう!」
 倉田さんの白くて細い両手が、私の両手を包み込む。
「……せ、せめて」
「え?」
「せめて……精一杯、がんばるから……」
 目を逸らしながらそう言う。初めて誰かに、前向きな言葉を伝えた気がした。
「うん、がんばろうね!」
 私にも長所があるってこと──それが本当なら、知ってみたい。
 
 
*  *  *
 
 
「関ー、お疲れ、良かったよ!」
「あ、ありがとう」
 ダンスを終えてすぐの私達に、クラスメイトが駆け寄ってくれる。ステージを成功させられた安心感で、思わず口元がほころんだ。
 よかったよ、やるじゃん。私に向けられる言葉の一つ一つが、以前までとは比べ物にならないくらいに暖かい。こんなに嬉しかったことなんて、今までにない。
「関さん、お疲れ様っ。楽しかったね!」
「あ、うん……倉田さんも、お疲れ様」
 倉田さんの言う通り、私には自分の知らない長所があった。
 しかめっ面の印象が強い分、笑顔にインパクトがあること。趣味で作ってきたアクセを衣装に使ってみたら、意外と好評だったこと。私は、そこまで悲観するほどマイナスの塊ではないということ。たった一度の小さなステージが、それを教えてくれた。
「関さん、今日皆で一緒に帰ろうって思うんだけど、どうかな?」
「いいの?」
「うん、もちろん」
 どうせ、なんてもう言わない。小さな自信で、私は変わった。精一杯の笑顔で、周りからの印象を変えることができた。
 ──関裕美は、生まれ変わった。
「ありがとう……!」
 嫌なところが目についてばかりの、しかめっ面の私はもういない。今日から私の、新しい関裕美の物語の始まりだ。
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