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 中学二年生の春。
 身体測定の時期になると私――桃井あずきは憂鬱になるんだ。
 理由は簡単。背が伸びていないから。
 あずきは運動部じゃないから、それらの子よりも背が伸びるスピードは遅いのは分かってる。でも、同じように背が伸びるのが遅い子たちは小学校の高学年の時に伸びていた。
 小学校高学年になった時はあずきよりも背の小さかった友達が、卒業しても同じ中学校に入って部活するようになったら、あずきよりも背が大きくなって。
 ――何だかあずき、取り残されちゃった気分……。
「次」
 あずきの前の子の身長の測定が終わって、あずきの番。記入する先生にカードを渡して測定機に上がる。
「背伸びしちゃだめよ」
 コンプレックスに対するささやかな抵抗も儚く打ち壊される。諦めてかかとを地面につけて測られる。
「はい。良いわよ。次」
 先生から測定カードが返される。結果は去年とほとんど変わらない。
「うう……」
 身長の測定が終わって次の測定場所に移動する間、みんながどれくらい伸びたか見せ合いっこをしている。次が体重だからおおっぴらに見れるのはこれで最後だから。
「私、六センチ伸びた!」
「すごいよねー。あっという間にセンターだもんね」
「あたしは一センチだけ……」
「大丈夫来年があるから!」
「知ってる?身長を伸ばすにはいっぱい食べて、いっぱい運動するといいって。それに牛乳だって!この前テレビでやってた!」
「後タンパク質だって!お肉もいいけど大豆とかならカロリー低くて良いって」
 色々と背を伸ばす秘訣が話される。こうなったら成長大作戦発動だね。背が大きくなったら、ファッションモデルのような美人になって――
 学校が終わって、部活もそこそこにやって帰宅。部屋にバッグを置いてすぐに下に降りる。
「おかーさん! ちょっと走ってくる!」
 店番中のお母さんにそれだけを言って運動用の靴に履きかえる。
「ちょっとどこまで?」
 それだけ言われたお母さんが早足で玄関にやってきた。うちは呉服店だからお店に立つときは和服が当たり前。もちろんあずきも店番するとき和服を着るから、着付けは一人でもできるんだ。
「うーん。公園まで?」
「そう。車に気を付けてね」
 ここから一番近い公園までは数百メートル。だけど、あずきが言っている公園は少し遠目。
「よーし! 走るぞー!」
 学校でやる準備運動をして、あずきは走り始める。途中で同じ学校の生徒とすれ違うけど、無視して黙々と走る。
「はあ…はあ……。も、もうダメ……」
 走り始めて数分。目標の公園まであと四分の一ほどの距離まで来たんだけど、もう体力の限界だった。
「運動部じゃないから、走るのって辛い……」
 結局、公園まで行ったけどそこからさらに走ることもしないで帰りは歩いて帰った。
 家に帰ると、まず冷蔵庫を開けて牛乳をコップに注いで飲む。本当は匂いが好きじゃないから自分から飲むことはないんだけど、身長が伸びるなら我慢して飲まなきゃ。
 夕食もいつもより多く食べて、お父さんとお母さんを驚かせた。成長大作戦はいっぱい食べて、いっぱい運動してそして大きくならなくちゃ!
 そしてその生活を一年毎日欠かさず続けた。雨が降っても雪が降って積雪になっても。走るのはやめなかったよ。最初はたどり着けなかったけど、次第に着くようになって、そこからランニングコースも走れるようになった。
 中学三年の身体測定の日。この日の為に一年間走って食べて飲んできた。
「次」
 あずきが呼ばれて、測定器の上に乗った。
「はい。オッケーよ。次」
 カードを返されてあずきは緊張しながら身長の項目を見た。
「え……」
 去年からわずか二ミリ伸びただけだった。
「あら、今日は走らないの?」
 自分の部屋の布団にふて寝していたあずきをお母さんが声をかけた。毎日走りに行くのに今日は走らないから心配していたんだよね。
「うん……。昨日で終わり……」
「風邪引いたの?」
「ううん。違う……」
「もしかして――」
 お母さんはあずきがくるまっていた布団を引っぺがした。あずきの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「……どうしたの?お母さんでいいから話してごらん」
 優しく話しかけるお母さんにあずきはゆっくりと口を開く。
「今日、身体測定があったの……」
「うん」
 お母さんは神妙な面持ちであずきの言葉を待っていた。
「身長が全然伸びなかったの……。去年から頑張ったけど、一センチも伸びなかったの……」
「それであずきいじめられてるの?」
「違うの! あずきはいつまでも小さいの気にしていたの。みんなが大きくなっていく中で、あずきだけが一人置いて行かれているような気がして……。あずき一番前の方なんだよ……」
「そうだったの……。だから走ったり、いっぱい食べたりしていたのね……」
 お母さんの言葉にあずきは頷いた。
「あずきだって、背が大きくなればモデルみたいに綺麗になって、お店の役に立てるって……。でも、全然背が伸びなくて……」
 あずきはここでまた泣き始める。だっていっぱい頑張ったのに背が伸びないのが悔しくて。
 そしたらお母さんがそっとあずきのこと抱きしめてくれた。
「ねえ。あずきは気にしなくていいのよ」
「だって、だって……」
「和服って、昔の人が着ていたでしょう? だから今の人には少し似合わないの」
「そうなの?」
「ええ。そうよ。あずきは昔の女の人のイメージってどういうの?」
 今度はお母さんから質問が飛んできたので、あずきは思いついた昔の女の人の、それこそ歴史の教科書に出てきた女性像を答えた。
「えっと、髪が長くて黒くて、白い!」
「そうね。大体合っているわ。そこになで肩と、長すぎない脚が入るのよ」
「長すぎない脚? 背が高くない方がいいの?」
「そう。着物の帯はどこで巻くの?」
「腰よりも少し上」
「帯の位置が上過ぎると、子どもっぽく見えてしまうの。それに歩く時だって、歩幅を狭くして歩くの。脚が長すぎると、歩幅は大きくなってしまうでしょう。だから、和服が似合う人は背が高すぎちゃいけないの」
「でも、今の人だって背が高くても似合う人、いっぱいいるよ!」
「そうね。今の人の和服の柄は派手ね。モデルさんの化粧に負けないようにしているんだけど、和服の基本は四十八茶百鼠よ」
 これは子供のころからお母さんとお父さんから言われてきた言葉だ。
「四十八の茶と百のねずみ色を着こなせってことだよね」
「そう。それを着こなせる人が和服を着こなせるってことなのよ。お母さんは、あずきは和服を着るために生まれてきたと思うの」
「和服を着るために、生まれてきた?」
「そう。昔のあずきくらいの歳の子は、ちょうどあずきの背と同じくらいなのよ。和服は昔の人が着こなせるように作られたの」
「うーん。あずきが昔の人と同じって言われるのは少し気になる……。かな?」
「でも、身長なんて自分で変えられないでしょう? だからあずきは神様に選ばれたのよ。『和服が似合う女の子になりなさい。』って。後は黒い髪を長く伸ばすことね。地味な色の生地でその人の持つ黒髪が映えるためにね」
「うん! あずき頑張るよ!」
 お母さんの言葉を聞いて、あずきに新しい目標が出来た。和服に似合う美人になるために、綺麗な黒い髪を伸ばすこと! 和服美人大作戦発動!
 それから一年。
 あずきの周りはこの一年で大きく目まぐるしく変わったんだ。
 まず、高校進学。まあ、これは当たり前かな。でも長野の高校じゃなくて、東京! これは少し置いといて。
 その次に、その間に和服美人大作戦は順調に進行していて、店頭に立ってモデルさんのまねごとをするようになったの。歩き方に気を付けて、立派な和服美人を目指して! 最初はうまくいかなかったけど、お母さんと一緒に練習して徐々に上手くなっていったんだ。
 そしてこれが一番大きいこと! あずき、アイドルになれたんだ! たまたま地元の商店街のイベントで売り子として出ていたところをスカウトされたの。これからはお母さんたちと離れて東京で頑張ることになったけど、事務所に所属しているアイドルの子たちもみんないい人ばっかりで、ライバルというよりもお友達って感じ。
特に工藤忍ちゃんと綾瀬穂乃香ちゃん。それに喜多見柚ちゃんの四人で組んだ『フリルドスクエア』ってユニットをやってるんだ。もちろんあずきはセクシー担当! 毎日が充実してて楽しい!
 あずきは背が低いってことをコンプレックスにして生きていた。でも、お母さんの言うとおり、私は和服に着るために生まれてきたんだって思う。
 だって、そのおかげであずきは『和服が似合うアイドルになっちゃうぞ大作戦』が始まったんだから!
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