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 来てしまった。
 JR東京駅。新青森から3時間、覚悟が決まるまで3年間。
 同じ冬でも青森と比べれば温いこの空気で、アタシの肩が震えてるのは寒さのせいじゃない。勝負はこの1度、この1週間だけ。だから失敗なんてできない。とうにわかっているはずの事実が、いざここに立ったら身体にのしかかってくる。軽く被ったハンチング帽すら鉄の塊みたいだ。
 だから、拳をぎゅっと、強く強く握りしめた。
 アタシはいつもそうやって耐えてきたんだから。がんばれ、工藤忍。
 昔、一度だけ見にいけたアイドルのライブステージ。まだ中学1年生だったアタシの目に彼女の、天海春香の姿はあまりにも鮮烈に映った。その背中に憧れて、アタシもアイドルになることを夢見始めた。
 だけど……現実は思ったよりも厳しかった。もちろん、まだ中学に上がりたてだったこともあると思う。それでもアイドルという夢を語った時に、アタシを応援してくれる人は誰もいなかった。友達も、先生も、両親すらも。そんなガラじゃない、将来が見えてない、ウチにレッスンなんてできるお金はない、みんな口々に理由を付けては「アイドルなんて」で終わる。悔しくて、その度に拳に力が入る。そんなことが何度もある内に、アタシは夢を語らなくなった。
 
 2年生に進級してから、アタシの学生生活は多忙を極めるようになった。友達との会話はファッション研究、昼休みには歌の自己錬、部活は演劇部を選んで少しでもステージ慣れを進め、帰りはロードワークを足して体力作り。夜中に深夜ラジオを聞いては眠い目をこすりながら標準語の練習。そんな生活を、日々の勉強と並行して続けてきた。
 アタシは夢を捨てたわけじゃなかった。結局、誰も応援してくれなかったのは「アタシがアイドルになれる」なんて思ってないから。なら陰日向に努力して、アイドルになった事実を先に立てちゃうしかない。そうできるだけの自信がつかなくて、悔しさに拳を握ってはまた走り出す。その繰り返しは中学を卒業し、高校に入っても変わらなかった。
 
 ようやく少しは自分を信じられるようになったのは、高校1年の冬頃だった。色々切り詰めて、なんとか東京行きの路銀と一週間くらいの滞在費用も溜まった。
 多分、これで失敗したら強制的にアイドルになる夢を捨てさせられる。でも何もしなかったら、このまま狭い地方都市で人生終わっちゃう。同じ夢破れるなら、これまでの努力を全部叩きつけて、未練なくスパッと終わりたい。
 爪が食いこみそうなほど握りしめた拳が、壁に掛けたハンチング帽に伸びる。そのまま愛用のショルダーバッグを持ち、親の不在を狙って1人家を出た。東京に転校した友人のところに行ってくると書き置きをしたから、延ばしに延ばせばギリギリ1週間は誤魔化せる。オーディションの一次選考も全部パソコンで済ませてある。でも結果はメールじゃなくて郵送で来るから、受かっても落ちてもバレる。そうなったら、絶対に次はない。
 
 努力は裏切らない。そう信じて、ここまで来た。でも山の手線を延々周回しながら思い出した日々は、アイドルという夢を隠した日々でもあった。叶うならアイドルになって、一緒にトップを目指す仲間にも出会いたい。でも、叶わなかったとしてもせめてこの夢を応援してくれる人に会えればいいな、と思う。たとえそれを最後に、夢を諦めることになっても。
 ……いや、違う。覚悟は決まった。アタシは絶対にアイドルになって、東京を自分の居場所にする。諦めるなんて、まだ始まってもいないのに考えちゃダメだ。3年も掛けて付けた自信を、簡単に手放しかけるなんてアタシらしくもない。これが東京が怖い所と言われる所以か、と思ったらまた肩が震え出した気がする。
 
 電車を降りれば、オーディション行脚が待っている。渋谷駅に降り立った私の拳は、固く握り締められていた。多分それは、東京にいる間変わらないだろう。諦めと震えを握り潰して、アイドルになるまで。
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