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「柑奈、街ば行くんね」
 
 私が部屋で荷造りをしていると祖父が大きな包みを抱えて入って来た。
 
「うん、隣のおじちゃんが車で送ってくれると。バイトしながら私の歌をみんなに聞かせたか」
 
「そうか」
 
 祖父は床に腰を下ろすとぼそりとつぶやいた。 
 
「わい(お前)の父ちゃんは大事な娘を都会ばやりたくなかと」
 
 大喧嘩を何度もしていたから当然同居している祖父も知っていたのだろう。
 
「……」
 
「歌で食っていけるものかと頭から決めてかかってるばい。おいもそれは難しいと思っとる」
 
 それは祖父の口からは最も聞きたくない言葉だった。
 
 
 
 
 私が生まれ育ったのは長崎の街から離れた田舎町だった。
 
 子供の遊ぶところといえば山や海で、多分にもれず私も毎日暗くなるまで駆け回っていたものだ。      
 

 そんなある日のことだった。
 
 きっとそれは私が気づく前からそうだったろうし、気がつかなければ変わらずそうあっただろう。
 
 夕暮れに沈み行く太陽が、あんなにもきれいだったことに。
 
 その頃の私はうれしいような泣き出したいような、何がなんだかわからないものに心を揺り動かされていたのだと思う。
 
 名づけられない感情に時間も忘れて見入ってしまい、動けないまま最後の光も沈んでいくところで急に肩に手が置かれた。
 
 びくりとして手の持ち主に目をやると、そこにいたのは同じように海に目を向けている祖父だった。
 
 気がつけばあたりは暗くなっていて、これは怒られるとびくびくしていたけど、祖父はひとことだけ、
 
「うつくしかね」
 
 と、私に笑顔を向けた。
 言葉にできない気持ちに「美しい」という名を与えた祖父に、私はただうなずくことしかできなかった。

 それからというもの、祖父は私にいろいろな音楽を聞かせ、ギターの弾き方を教えてくれた。
 
 そうして覚えた歌を田んぼもカエルを前に大声で歌ったりしたものだ。
 
 祖父の知っている曲は60年代の洋楽が多く、時には私の聞きかじった歌に合わせてギターを弾き、その頃の話をよく聞かせてくれた。
 
「そん頃アメリカが、戦争なんてくだらなか、愛と平和が大事たい、若いもんがそんなことを言い出したと。人はいつまでも争いの中にいたらいけん、そいじゃあ修羅とおんなじたい。ラブ&ピースばい!」
 
「欲目ば負けてざまんなか(みっともない)目にあうもんも多か。ばってん愛し、愛されているもんは心も強かと」
 
 祖父はよく愛という言葉を使っていた。
 
 なんだかわからずに一度、
 
「爺っちゃん、愛ってなんとね?」
 そう聞いてみると、
 
「あのときの夕日の光のように、おいにも柑奈にも、万人に降り注ぐ恵みのことたい。この世のあらゆるものは愛によって生かされとる」
 
 そういいながらギターを鳴らし、
 
「自分で気づけんもんにそれを伝える力を持っているのは音楽たい。ラブアンドピース! 歌ば世界を救う!」
 
 と、笑いながら言ったものだ。

 

 そんな祖父に否定的なことを言われ、さびしい気持ちを隠すこともなく聞いてしまった。 
 
「爺っちゃんも反対しとっと……?」
 
 その言葉に祖父は少し目を丸くして、すぐ目を細めて笑いだした。
 
「一度決めたらぎゃーなか(頑固な)柑奈が人に言われたくらいでやめるわけがなかろうが、なあ?」
 
「爺っちゃん……!」
 
 祖父は傍らに置いてあった包みを解いた。
 
 それはいつも祖父の弾いていたギター。
 
「ばってんわいの父ちゃんに恨み事を言うのは筋が違うとよ」
 
「そげなこといっちょん(全然)思っとらんよ!」
 
 顔を見合わせて、二人して大笑いした。
 
「おいがいつも言っとっと。世界は愛に満ちているばい。ばってんそれに気がつけるもんは少なか」
 
 祖父は顔をくしゃくしゃにして笑いながらギターを構え、Cのコードを、次いでCメジャー7を爪弾いた。
 
「柑奈はおいどん(おれたち)家族の愛に包まれて生まれ、こん街ば愛にはぐくまれて育ったばい」
 
 弾いていたのはジョン・レノンのイマジン。
 
「こん曲ば作ったレノンも愛ばわからんもんの手にかけられたと。父ちゃんも母ちゃんもおいも都会のことばよく知らんたい。どげんおとろしかもんがいるかもわからん」
 
 その曲に込められた祈りは彼が亡くなってからも世界中に送られている。
 
「ここから離れたら与えられる愛ば気がつけんようになる。知らんもんに心を傾けることのできるもんは本当に少なか」
 
 それでも世界が平和になったかというと、決してそんなことはいえない。
 
「わいのやろうとしてるのは、だれも成し得たことのないほーらつか(とてつもない)ことたい」
 
 そう、歌が、音楽が平和を作ることができるかなんてわからない。
 
「ばってん忘れんでくれんね。おいが言いたいのはただ一言ばい。歌ば世界を救う!」
 
 だけどそれができないなんて誰が決めたんだろう。
 
 祖父は大きな声で言うと、弾いていたギターを差し出してきた。
 
「爺っちゃん、これは……」
 
 受け取れないと言おうとしたが、笑顔のまま、
 
「持って行け、おいの形見たい」
 
 と、さらに押し付けてきた。
 
「形見だなんて言わんでくれんね、縁起が悪い!」
 
 ふくれた私に、笑いを引っ込めたまじめな顔で、
 
「柑奈が柑奈だけの愛を見つけるまでの旅の道連れたい。きっとぐーば見る(つらい思いをする)こともあるやろう。心が折れて倒れそうなときのつっかえ棒たい」
 
「私だけの、愛?」
 
「愛を与えるもんは愛を与えてくれるもんが必要たい。そげなもんが見つかるようおいも祈っとる!」
 その笑顔が、言葉が、私の心にいつまでも響いていた。
「はあ……ラブ……ラブはどこにあるんやろ……」
 
 都会で歌いだして少したつが、まだ私は私だけの愛、ラブを見つけられていない。
 
「ふう、まずはピースのために歌おか!」
 
 祖父から受け取ったギターを相棒に、長崎の繁華街で私は今日も歌う。
 
 私の愛を見つけるために、平和の歌を。
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